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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
京の風 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
ダダモレ放射能がイノチを削る中、日本でもこの歌が似合う時になった。"Road of Resistance"

これまで、日本の教育では、絶対に教えなかったこと。 しかし、世界の英知が知る真実。

 国家権力の本質は、少数者のための 暴力 と 騙し。

 この真実をよく知った上で、 

 森羅万象と向い合って、 本気で、新しい世界を創ろう。

 この安保法制なんか、 "目覚めの一発" にすぎないよ。

 これから、 マッカーサーのとき以上の衝撃が来る。

 まず、この週末、谷内正太郎が、中国に行く。

 国家間の問題には、戦争 と 経済 があるが、

  放射能は、その国家だけでなく人間社会そのものを 全てをひっくり返す重大問題。

  曖昧なままでは、何事も、まともな変革は出来ないぞ。 情報公開が、一番肝心。

 種として、生き残るための大選択。 これを、しなければならない。

 覚悟はできているか?  何かを守り、 それ以外を全て捨てることができるか? 

 生活の次元で、今だけを見ていたら、 存在そのものが、消えていくぞ。

 生存次元から、地上世界を創り直す。 ピラミッド構造を 産まない社会システム。 

 まずは、元気を出すために、 ベビーメタルの Road of Resistance を 聞こう。

  https://www.youtube.com/watch?v=Zi-XFUZ5EL4

 人間として、生きている限り、イノチを大切にして、未来を、想像・創造していこう。


・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり

画像



抵抗の道・・・

レジスタンスなど日本に有史以来なかった。

せいぜい一揆で一向一揆くらいか。

陳勝呉広緑林赤眉黄巾黄巣白蓮教の乱に、義和団の乱。

五代十国の時には、遼の過酷な占領に、華北の農民が蜂起して、ついに漠北へ追い返した。


あまりに飼いならされた日本人・・・・

これでは明日がない・・・・。


て、人のことはいえないダメな在来日本人です・・・・。



富貴や出世をすてるなら、簡単にできる。

まずはそれから捨てよう。

他人とともに楽しむのはその楽しみも長いが、自分一人で楽しむのは長く続かずなくなるものだ

さもしいエゴイズム・神経症的な恐怖に煽られる生き方を、やめよう・・・

さもないと本気で神経症になり、死んでしまう・・・。


>国家権力の本質は、少数者のための 暴力 と 騙し。

その通り。

確かにそうでない人も確かにいた。

でも少ないから目立つ。だいたいエゴイズムと保身でドンドン劣化し、国家は吸血鬼に早々になる。

国家のもつ本質的な「暴力性・欺瞞性」を直視しない限りに、死しかない。

強者に媚びても、やがて自分がいけにえにされる。



なんでもいいから、狂気と戦わないといけない。どのような方法であれ。それを怠ると死だろう。

>この安保法制なんか、 "目覚めの一発" にすぎないよ。

私もそうも思う。

日本政府が「日本人を殺す政府」とようやく気が付き一歩だろう。


>これから、 マッカーサーのとき以上の衝撃が来る。


自力で革命できない日本人には、「大ハーンプーチン」の威徳でしか、もはや救いがない。

日本会議カルトの中には、改心する者やプーチンに早速媚びる犬が続出するか、日本人を道連れに心中するモノが続出するだろう。

それに期待するしか私はその無力を呪うが、せめてそれをうまく使って乗り切りたい。

易でこの戦争安保法案のことを聴きました。

風水カン の九五

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-64.html 

上記文抜粋
・・・・・・・・・
渙は、散らす、渙散、離散、といった意。

この卦は内卦の坎を水とし、外卦の巽を風とすれば、風が水の上を行く様子である。
風が水上を行くときには、必ず水を吹き渙(ちら)すものである。
だから渙と名付けられた。
また、内卦を自分とし坎を険難とし、外卦を相手とし巽を従うとすれば、自分に険難があり、相手がそれに従うことであって、これは相手が自分の悩みを渙す様子である。
これまもた渙と名付けられた所以である。
また、坎を水とし冬とし氷とし、巽を春とし風とすれば、厳寒の凍氷を春の風が渙散させる様子である。
だから渙と名付けられた。
また、交代生卦法によれば、もとは天地否から来たものとする。
天地否の九四が内卦に来て二爻に居り坎の主爻となり、六二は外卦に往き四爻に居て巽の主爻となったのが、この風水渙である。
九四が来て二爻に居るというのは、天気が下って坎の雨となった様子であって、六二が往きて四爻に居るのは地気が上って巽の風となった様子である。
天地の気が塞がれているときには、風雨を以ってこれを渙散させるのは、雷雨をもって屯欝の気を解くのと同様である。
だから渙と名付けられた。
またこれを人事に譬えて国家政経の道を判断するときには、先ず天地否の卦の形を国家に道無く閉塞壊乱のときとする。
その打開策として、九四は内卦にやって来て二爻の臣位に居り、剛中の才徳を以って、九五の剛中の君を、同徳を以って相応じ助けるのである。
と同時に、六二が外卦に往き、四爻執政大臣の位に居て、柔正の徳を得て、九五の君と陰陽正しく比し親しみ、よく補佐するのであるる。
これは、二と四との二人の臣が共に力を合わせ、国家の否塞を開通させ、混乱を消散させる様子である。
だから渙と名付けられた。

卦辞
渙、亨、王*假有廟、利渉大川、利貞、

渙は、亨(とお)る、王(おう)有廟(ゆうびょう)に*假(いた)る、大川(たいせん)を渉(わた)るに利(よ)ろし、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、

*假は、沢地萃や雷火豊と同様に、通本ではこの假(「仮」の正字)を使っているが、中州はニンベンではなく彳(ギョウニンベン)だとしている。
しかし、その字はJISにもユニコードにもないので、ここでは*假で代用しておく。

およそ天下の事物は、否塞して難渋するときは、必ずこれを渙散させないといけない。
その渙散させるときをもって、否塞していたのが亨通するのである。
要するに、交代生卦法で、天地否から来たとするから、渙は亨る、というのである。

さて、王道の興廃は、まったく人民によるところである。
民衆は国の本である。
民衆の心が集まるときに国は興り、民衆の情が渙散するときに国は廃れる。
民衆を集め、その民衆の心を化服させるには、何を置いてもまず孝である。
その孝の道の高く盛んなものは、祖先に孝なるを以って至極とする。
『論語』にも、終わりを慎み遠きを追えば、民の徳は厚きに帰す、とある。
終わりを慎むとは、親の葬儀や祖先の祭祀を丁重に行うことである。
祖先の祭祀は至誠至敬を以ってすれば、祖霊が集まり、誠敬がないときには、渙散して祖霊は集まらないものとする。
だから、水火既済の九五の爻辞には、東隣に牛を殺すは、西隣の禴祭(やくさい)に実あって其の福を受くるに如かず、とあるのである。
禴祭とは質素な祭りである。
形ばかりの大きな生贄を供える祭りよりも、供えは質素だが誠敬がこもっているほうが、福は受けられるものだ、ということである。
したがって、この風水渙の渙散の気運のときには、王者は渙散しようとしている祖先の霊を祭祀で集め、孝を尽くすのが大事なのである。
祖先に孝を尽くすことにより、風水渙の気運で渙散しようとしていた民衆の心もひとつに集まるのである。
だから、王有廟に*假る、という。
有廟とは、廟を有(たも)つ、といったニュアンスで、廟に集めた祖霊を渙散しないように有つようにとの教戒が込められている。

大川を渉るに利ろし、というのは、海や大きな川を渉るには、船が必要である。
この卦は、坎の水の上に巽の木の船が浮かんでいる様子でもある。
だから、大川を渉るに利ろし、という。

天下の否塞を渙散させて亨通させるも、大川を渉るも、共に貞正に行われることが大事である。
邪に事が行われるのであれば、災いを起こし、害を生じるものである。
大川という険難を渉るにしても、貞正に流れや風波を読まずに、いい加減な判断で行けば、身命はどうなるかわからないものである。
だから、貞しきに利ろし、という。


・・・・・・・・中略・・・・・・・

九五、渙汗、其大号渙、王居无咎、

九五(きゅうご)、渙(ちら)さんとして汗(あせ)す、其(そ)の大号(だいごう)にして渙(ちら)さしめば、王(おう)居(お)りて咎(とが)无(な)し、

汗とは人の身から出る液体にして、人身を労することが有る時に出るものである。
今、渙の時に当たって、九五は剛健中正の徳が有り、君の位に在って、天下の険(なや)みを己が身の険(なや)みとし、その険みを渙散しようと、汗を滴らして大いに苦労する君である。
だから、渙さんとして汗す、という。

そもそも天下の政務は、千万無量であるとしても、その根本は、人を知るに在り、民を安んじるに在る。
しかし今、幸いに六四の賢宰臣がある。
六四は柔正の徳を備え、巽の風の主、成卦の主爻にして、非常の大手段を有し、天下群民の坎の険みを渙す大任に堪える賢宰臣である。
そこで、九五の君は、この六四に大号令を伝え、徳風教化を大いに天下に布き施させるのである。
このようにして、群民の険みを渙す時には、九五は自ら動かず、常のようにそのまま王位に居ても、少しも君位を辱めることはなく、道において咎はないのである。
だから、大号にして渙さしめば、王居りて咎无し、という。




・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり


>天下の否塞を渙散させて亨通させるも、大川を渉るも、共に貞正に行われることが大事である。
邪に事が行われるのであれば、災いを起こし、害を生じるものである。
大川という険難を渉るにしても、貞正に流れや風波を読まずに、いい加減な判断で行けば、身命はどうなるかわからないものである。

て気になるセンテンス。


変卦は、

山水蒙 の六五 

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-9.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・

蒙は、くらい、おろか、先が見えない、といった意。
艮を山とし、坎を雲霧とすれば、艮の山の麓より坎の雲霧が発生し、峰も谷も覆い隠して、幽暗となった様子。
だから蒙と名付けられた。
また、艮を山とし阻むとし、坎を川とし険しいとすれば、山川険阻の地を表現していることになるが、そういうところは旅人も道に迷いやすく、これでいいのかと先が見えない不安を抱く。
だから蒙と名付けられた。
また、艮を山とし、坎を泉とすれば、山より泉が出るところを表現していることになるが、その泉はやがて他の湧き水と合流して川となり、さらにいろいろな川と合流して、大きな川となり最後には海にたどり着く。
しかし、湧き出る泉の時点では、これからどこをどう流れて、どういう結末になるかは、無知蒙昧のように、まったくわからない。
だから蒙と名付けられた。
また、上卦を外とし、下卦を内とすれば、内卦の坎の険難の外に出て、その場に艮止(とどま)っている様子。
例えば、鉄砲水が出て、危うく岸に逃れたけど、さらに遠くの安全なところまで避難することはせず、鉄砲水をすぐ近くから眺めているようなもの。
これでは何も知らない子供のように愚かなことだ。
だから蒙と名付けられた。

卦辞
蒙、亨、匪我求童蒙、童蒙求我、初筮告、再三瀆、瀆則不告、利貞、
蒙は、亨(とお)る、我(われ)より童蒙(どうもう)に求(もと)めるに匪(あら)ず、童蒙より我に求めるべきなり、初筮(しょぜい)は告(つ)げる、再三(さいさん)すれば瀆(けが)れる、瀆れれば則(すなわち)告げず、貞(ただし)きに利(よろ)し、

ここに、亨る、とあるのは、今、直ちに亨ということではない。
蒙昧であることを自覚し、賢者を求めて勉強し、物事の道理を会得して、然る後に亨る、ということである。

蒙昧を自覚して勉強を始めると、なんだか偉くなったような気がして、教わったことを誰かに教えたくなるものである。
続く、我より童蒙に求めるに匪ず、童蒙より我に求めるべきなり、というのは、そんなときの気分を戒めているのだ。
我とは教える立場の人間=先生、童蒙とは子供のように蒙昧な人間=教えられる立場の人間。
少し教わり、なんだか偉くなった気分になって、先生のつもりで、嫌がる子供たちを集め、自分が教わったことを自慢げに教えるのは、よくないことだ。
自分は何もせずとも、子供たちの方から教えて欲しいと頼まれるようになることだ。

ところで、蒙昧な人間は、自分に都合のよいことしか考えない傾向にある。
特に筮竹を捌いて占うときには、それが顕著である。
悪い形が出ると、こんなはずではない、として、その形を信じて対処を考えず、よい形が出るまで何度も何度も筮竹を捌いたりする。
そんなことでは、当たるものも当たらない。
だから、初筮は告げる、再三すれば瀆れる、瀆れれば則ち告げず、
と戒めているのだ。
ともあれ、多少なりとも勉強をすると、自分はもう、蒙昧ではない、と過信してしまいやすい。
しかし、客観的に観察してみると、まだまだ蒙昧なものだ。
だからこそ、驕らず、謙虚に、貞正に勉めるのが利ろしい、ということで、貞しきに利よろし、という。

・・・・・・中略・・・・

六五(りくご)、童蒙(どうもう)のごとくならば、吉(きち)

六五は柔中の徳が有り、九二に応じ、上九に比している。
その九二は賢明剛中の才徳が有り、成卦の主爻であって、よく六五の君を補佐する賢臣である。
また、上九は剛明の才徳が有り、王者の師の位置に居て、よく六五の君を教導輔弼する者である。
したがって六五の君は、自身が陰柔であることを弁え、富貴栄誉を欲することなく、謙虚に六二の賢臣に委ね任せ、上九の賢師の助言に降り服し、その純心精一なることが、童子のように天真自然であれば、吉である。
だから、童蒙のごとくならば吉、という。


・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり


まさに目覚めの一撃。



今後の行方をあえて、タロットでも聞いた。

過去 3 女帝 正

参考 

現在 13 死神 正

参考

未来 8 逆

参考

いずれにしろ、戦争など無理。

東京五輪もつぶれる。

13ってことはすべてご破算ってことか。

ともわれ、傲慢の鼻をへし折られて、放射能の追い打ちで、つぶれる。



本当のことを長く知ろうとしない報いでしょう。



オチになりませんが。


お読みくださりありがとうございます。



追記 

易のことで少し調べていたらすごい記事を発見

http://sun.ap.teacup.com/souun/17788.html 
のコメント欄 より

上記文抜粋
・・・・・・・・

「明治18年、易聖・高島嘉右衛門の易占では、神道国教化は「大往き小来たる」、「それ滅びん、それ滅びん」。

以上

と、廃仏毀釈で大が去り、フリーメーソンの影が濃厚に漂う神国日本ではあります。


・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


まさに・・・・



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